ちいさな世界 第4話
緑の電話 〜 父
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家に一人でいると、よく、無言電話がかかってきた。
怖かった。何も名乗らず、ただただ。無言。
うちの家の緑の電話は
とてもけたたましく「リリリン」と鳴るのだった。
本当にうるさかった。母の怒鳴るその様子と重なるように思えた。
呼び鈴の鳴る大きさを調整できたかもしれない。
小学生の僕にはそれをどうにかするための知識がなかった。
呼び鈴を止めるために、電話に出る。
僕が一人でいるそのときに
母の好きな電話にかかってくる電話。
母からの大事な用事かもしれない。
学校の電話回覧かもしれない。
僕は必ず電話がなると、その電話に出た。
今考えれば、警察に相談しても良かったかもしれない。
しかし、それができない事情もあった。
ゴミだらけの部屋。
これを、他人に見せるのは子どもながらに恥ずかしいことだと感じていた。
引っ越してきて約9年。たまには綺麗になったときもあったかもしれないが、
県営アパートの1室。僕が暮らすその空間はゴミ屋敷だった。
玄関には新聞や広告と古い靴、
その他には食べ物のカスもあったかもしれない。
およそ10センチほど「積もっていた」と思う。
リビングには万年床があり、その周囲をゴミが覆い尽くしていた。
丸々と太った蝿が飛び交っていたのも覚えている。
あるとき蓋を閉め忘れた白い甘い飲み物。
それをコップに注ぎ、出てきたものは…やめておこう。
とにかく。人を家に入れることは、なかった。
無言電話の正体がわかったのは、僕が20歳を過ぎた頃だっと思う。
小さい頃にあったその恐怖の体験を、
母に話したのか、父に話したのか忘れたが、
そんなことをやるのは父か母かのどちらかだったに違いない。と。
漠然とした推測を持っていて、それを何かのきっかけで聞いたのだ。
「ごめんなけんいち。それはお父さんだった。さびしくてけんいちの声が聞きたかったんだ。
かわいい声でな。『だれですかぁ。』とか言ってな。」
父と母は僕が幼稚園の年長になる頃に、一度離婚している。
そして僕が高校2年にあがるときに、復縁した。
母とばかり時間を過ごした僕は
母から父は恐い奴だ。「あんな人と結婚するんじゃなかった」
そんな話を毎日のように聞かされていた8歳の僕は
家庭裁判所で「お父さんとお母さんのどっちが好き?」
という質問に答えなければならなかったのだ。
すっかり洗脳されていた僕は、ただただ父が怖かった。
理由がない、ただただ恐い存在だった。
唯一遊んでもらった記憶は
ダイヤブロックでドリルのついた未来の探査機を
作ってもらったことだ。それ以外で遊んでもらった記憶がない。
筋肉質でスポーツマンの父は、
僕とスポーツがやりたかったのかもしれないが、
少なくとも小さい頃の僕は、スポーツに全く興味がなく、
父はそんな僕にスポーツの楽しさを教えることができなかったのだ。
そんなかわいげのない僕を、父はどう思っていたのだろうか。
愛情は持っていたのだろう。
一人で寂しいその時に
公衆電話から電話をかけてきたんだろう。
僕は僕の中での過去が一つ明らかになったことで、
新しい嫌悪感を感じた。
それは父の不器用な愛情。
今、僕の手元にある携帯電話には、無言電話がかかってくることはない。
父はもうこの世にいないことも、その一つの理由かもしれない。